人物

西山知義の経歴やプロフィール!焼肉ライク創業者の生い立ちを調査!

「牛角」や「しゃぶしゃぶ温野菜」だけでなく、ひとりでも気軽に立ち寄れてリーズナブルなお値段で人気の「焼肉ライク」などの創業者である西山知義さんをご存じでしょうか。

競争相手が多い外食産業で7年間でグループ合計1,000店舗達成などの実績を誇る西山知義さんは2021年1月24日(日)の「坂上&指原のつぶれない店」で立て直し企画に出演されるなどメディアへの出演も増えてきています。

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立て直し企画は、かつや社長の臼井健一郎さんなどが出演された企画です。

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飲食業界において素晴らしい実績を作り上げてきた西山知義さん。

その経歴やプロフィールが気になりますね!

 

この記事では、「西山知義の経歴やプロフィール!焼肉ライク創業者の生い立ちを調査!」と題して、2021年1月24日(日)の「坂上&指原のつぶれない店」の”立て直し企画”にも出演された西山知義(焼肉ライク創業者)さんの経歴やプロフィール、生い立ちを調査しました!

西山知義の経歴やプロフィール!焼肉ライク創業者の生い立ちを調査!

初めに西山知義さんの経歴を簡単にご紹介します!

西山知義さんの経歴

1987年:不動産会社を設立

1996年:「焼肉市場 七輪」(現:炭火焼肉酒家 牛角 三軒茶屋店)をオープン

1997年:FC1号店を渋谷にオープン、名称を「牛角」へ変更

1998年:株式会社レインズインターナショナルへ社名変更

2012年:株式会社レインズインターナショナルを株式会社コロワイドへ売却

2013年:株式会社ダイニングイノベーションを設立

参考:西山知義WikipediaダイニングイノベーションHP

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株式会社レインズインターナショナルは「牛角」や「しゃぶしゃぶ温野菜」など、株式会社ダイニングイノベーションは「焼肉ライク」や「じねんじょ庵」などを運営しています。

牛角は誰もが知るチェーン店、株式会社ダイニングイノベーションは創業6年で国内外200店舗を達成するなど、一見すると華々しい経歴ですが、ここまでの道のりはけっして平坦なものではありませんでした。

 

西山知義さんは1996年3月19日、東京都世田谷区生まれ。

2021年1月現在で54歳です。

下に写真がありますが、年齢よりもお若く見えますね!

引用元:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00100/122300026/

帝国データバンクの調査によると、2020年の日本企業の社長の平均年齢が59.9歳なので非常に若いですね!

 

西山知義さんの父親は宅地造成業を営む不動産会社を経営していました。

宅地造成業とは

地域の計画的開発と既成都市の再開発を目的とした事業で、土地開発事業や住宅用地造成事業の各事業を総称したもの

父親が経営する不動産会社はテレビCMを流すほどの実績があり、家庭は比較的裕福でした。

しかし、西山知義さんが小学生のころ、父親が経営する不動産会社が倒産し借金返済のために自宅も手放さざるを得ない状況でした。

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西山知義さんはこの体験から「常にリスクを考えるようになった」と語っています。

 

それでもなんとか高校、大学まで進学します。

大学生活の傍らでは当時流行していた学生ビジネスも始め、イベント企画や企業の学生向けマーケティングなどを請け負い、会社も設立しました。

 

しかし、所詮は”学生ビジネス”であると気づき、本気で経営を学ぶため大学を中退

“若くて独立しやすい”という理由から不動産会社に就職します。

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西山知義さんの学歴の詳細はこちらの記事に記載されています。

 

その後、一年間不動産会社に勤務し、1987年6月に不動産の売買仲介を主業務とする不動産会社「レインズ」を地元の後輩と2人で設立します。

このときの年齢は21歳。

同級生が大学生活を謳歌する中で、西山知義さんは経営者としての道を歩み始めます。

 

設立した不動産会社は事業を内装工事業まで拡大し、従業員は20名を超える規模になりました。

しかし社員による横領事件やバブル崩壊により先行きが不透明になった頃、「もっと差別化を図れるビジネスがあるはずだ」と思っていたとき、マクドナルドの経営手法の本を手にします。

 

そこで自分に足りないものに気づいた西山知義さんは、不動産業の社長として活動する傍ら、マクドナルドでアルバイトを始めます。

週3日、5ヶ月ほど続け、ときには高校生の指導を受けながら働いていました。

 

この体験の中で一番驚いたことは、揚げてから7分経過したポテトは捨てることだったそうです。

顧客本位からの行動であると教えられたものの半信半疑だった西山知義さんが理由について聞いてみると、「これから何百回も来てくれるお客様に冷めたポテトを出したらがっかりされるから」と言われました。

西山知義さんはこの体験で、働く意味を初めて理解したと語っています。

 

差別化を図るために西山知義さんが注目したのが外食産業です。

当時、焼き肉店には全国的に展開しているお店が少なく、「マクドナルドのようにマニュアル化したシステムで市場を開拓できる」と確信し、

1996年1月に、東京・三軒茶屋に「焼肉市場 七輪」(現:炭火焼肉酒家 牛角 三軒茶屋店)をオープンします。

これが現在の牛角で、1997年11月にはFC1号店を渋谷にオープンし、牛角は2000年5月に100店舗を達成

以降も2002年4月には500店舗同年6月にはハワイ1号店をオープンするなど海外にも拠点を広げています。(店舗数や場所は株式会社レインズインターナショナルの沿革より)

参考資料:注目の起業家│ベンチャー通信Web

 

株式会社ダイニングイノベーション設立後の経歴について

前述のとおり、2012年株式会社レインズインターナショナルを売却後、株式会社ダイニングイノベーションを設立しました。

株式会社ダイニングイノベーションは、「焼肉ライク」、「じねんじょ庵」、「しゃぶしゃぶれたす」などの運営会社です。

 

設立して2年半でグループ合計100店舗を達成しました。

グループの中で特に好調で2018年に1号店をオープンした「焼肉ライク」は5年で300店舗を目指しているとのことです。

参考記事:~信用するけど、頼らない。独自の経営哲学で日本の外食を変革してきた~

 

株式会社レインズインターナショナル時代よりも早いペースで出店数を増やしていますが、西山知義さんは”マーケットを広げるのではなく、お客様の隠れたニーズをつかむ”ことで業績を伸ばしているとインタビューで語っています。

参考記事:https://www.gourmetcaree.jp/column/leader/367.html

 

これまで様々な挑戦をしてきた西山知義さんですが、2020年11月には完全非接触型のテイアウト専門のハンバーガー店「ブルースターバーガー」をオープンしました。

 

スムーズに提供される、時代のニーズに合っているなどの口コミも見受けられ、勢いはまだまだ続きそうです。

 

そんな西山知義さんは「クレームを生かすほど会社は伸びる」という書籍を出版しています。

 

社会人がピンチに立たされた際に、行動や心構えとして役立つ内容になっています!

 

さらに西山知義さんのこれまでの経歴を記した「想いー三茶の焼肉、世界を目指す」という書籍も出版されています。

 

さらに詳しい経歴が掲載されていると思いますので、ご興味のある方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

この記事のまとめ

ここまで、「西山知義の経歴やプロフィール!焼肉ライク創業者の生い立ちを調査!」ということで、西山知義(焼肉ライク創業者)さんの経歴やプロフィール、生い立ちを調査してきました!

 

冒頭でもお伝えした通り、西山知義さんは、2021年1月24日(日)の「坂上&指原のつぶれない店」の”立て直し企画”に出演されます。

これまでの経験からどんな手腕を見せるのか注目ですね!

nao
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今回は「西山知義の経歴やプロフィール!焼肉ライク創業者の生い立ちを調査!」という記事だったけど、このブログでは話題となりそうな人物や出来事を多数紹介しているよ!
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こちらがトップページです!お時間のある方はぜひ見てあげて下さい!

今回は以上となります!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!