2020年6月27日(土)放送の「ジョブチューン」では、ピザハットと超一流ピザ職人のジャッジ企画が行われます。
昨年11月に同企画を行い10品中8品以上合格を目標にしましたが、結果は7品ということでわずかに届かなかったため、このたびリベンジマッチを行うことになりました。
創業以来初めてトマトソースを改良するなどの大きな試みをした上でのリベンジマッチがどのような結果になるのか気になるところです。
この企画にピザハット社長(中村昭一)さんも登場し、リベンジマッチを見届けることになりました。
この記事ではピザハット社長(中村昭一)さんの経歴やプロフィール、大学や高校についてもご紹介していきますので、放送を見る際の参考にしていただければと思います。
それでは、「ピザハット社長(中村昭一)の経歴やプロフィールは?大学や高校についても!」と題して、ピザハット社長(中村昭一)の経歴やプロフィールを中心にご紹介していきます!
ピザハット社長(中村昭一)の経歴やプロフィールは?
まずは、ピザハット社長(中村昭一)さんの経歴やプロフィールをご紹介していきます!
~ピザハット社長(中村昭一)さんのプロフィール~
名前:中村 昭一(なかむら しょういち)
生年月日:1971年2月28日
年齢:49歳
出身地:兵庫県宝塚市
趣味:食べ歩き
ピザハット社長である中村昭一さんは、1989年4月に日本ケンタッキー・フライド・チキンに入社します。
1994年8月にはデリバリーサービス事業部PH部に異動して、ピザハット関西地区の新規立ち上げに携わります。
1995年には阪神淡路大震災を経験。
店の復旧が比較的早かったこともあり、避難所がある公民館や体育館、仮設住宅などにピザを届けるなど尽力し、店舗売上日本一を達成したこともあります。
その後もスーパーバイザー、シニアエリアマネージャー、マーケットマネージャー、ゼネラルマネージャーなどを経て2017年4月に社長に就任し、現場畑の社長として「現場ファースト」を心がけています。
同年6月には日本ケンタッキー・フライド・チキンの子会社から投資ファンドの傘下となることを決断し、規模の拡大に成功しました。
ピザハット社長(中村昭一)さんは柔軟な発想で事業を展開されていて、住宅街の中への出店を幹線道路沿いへの出店に変更してドライバー不足の解消に繋げたり(2018年に昭和シェル石油と業務提携し共同出店)、2020年3月からは社会情勢を考慮し、配達員が直接手渡しすることなくピザの受け渡しができる「置きピザ」を開始するなど新たな試みを続けています。
今後1~2年でライバルのドミノ・ピザやピザーラとほぼ同じ規模の500店舗を目指しているとのことです。
ちなみに、中村昭一さんは社長になるとは全く思っていなかったそうです。
そんな社長ご自身も毎朝7時からオンライン英会話で英語の勉強をするなど、海外に目を向けた動きも欠かさずされているそうです。
ピザハット社長(中村昭一)の大学や高校についても!
中村昭一さんは高校卒業後日本ケンタッキー・フライド・チキンに入社されているので、大学には通われていません。
では高校はどこなのか調べてみましたが、出身高校についても公表はされていませんでした。
あくまで推測の域になりますが、良くあるパターンは出身地である兵庫県の高校に通われていたパターンです。
兵庫県の高校は218校あるようで、ピザハット社長(中村昭一)さんの出身地である兵庫県宝塚市には6校の高校があるようです。
この中でも宝塚北高等学校は、兵庫県の中でも偏差値がTOP10に入るようでひょっとしたら中村昭一さんもこの高校の出身なのかもしれませんね。
この記事のまとめ
ここまで「ピザハット社長(中村昭一)の経歴やプロフィールは?大学や高校についても!」ということで、ピザハット社長(中村昭一)の経歴やプロフィールを中心にご紹介してきました!
最後にここまでをまとめておきたいと思います!
・ピザハット社長(中村昭一)さんは、2017年4月に社長に就任
・現場畑の社長として「現場ファースト」を心がけ、昭和シェル石油と業務提携による共同出店(2018年)や、配達員が直接手渡しすることなくピザの受け渡しができる「置きピザ」を開始(2020年)するなど新たな試みに挑戦
・高校卒業後日本ケンタッキー・フライド・チキンに入社されているので、大学には通われていません
・高校も公表はされていませんでしたが、出身地である兵庫県の高校に通われていた可能性もありそうです
今回は以上となります!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!